蓬莱橋
静岡県島田市
蓬莱橋(ほうらいばし)は、静岡県島田市にある大井川に架けられた世界一長い木造歩道橋(ギネス認定)。
平成19年7月15日の台風4号により被災し一部のみ解放されていたが、現在は復旧しているので対岸まで渡ることでができる。
蓬莱橋は賃取橋なので渡橋料が必要です。
さすがに、世界一とあってとにかく長い!歩けども対岸が近づいてこない~(笑)
周りばかり見ていると見落としてしまうが、途中で床板に「ど真ん中」と書いてあるので歩く目安にどうぞ。
(ちなみに、往復で約30~40分とのこと)
蓬莱橋には、高欄下の床板部に「ソーラーブリック」と呼ばれるLEDソーラーライトが設置されている。
その「ソーラーブリック」に名前が記載されていたので、なんだろう(落書き?)と思っていたが、どうやら平成15年にソーラーブリックを設置した利用者の名前のようだ。(未確認)
夜には太陽の光を集めたソーラーブリックが光り、足元を照らす。
360度の動画を撮ってみたが、とにかく風がすごい!まわりに風よけになるようなものがなにもないので、ものすごい勢いの風が体にバシバシあたる。
動画を再生してもらったら、風の音でそのすごさがわかると思う。
※動画を再生するときは、風の音が大きいので音量に注意してください。
1869(明治2)年7月、最後の将軍徳川義喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓し、お茶をつくり始めた。
当初は大変厳しい環境の中で、筆舌にはつくせない苦労の連続だったが、そのかいがあって順調に茶栽培が営まれ、生活が安定するに従って、島田の方へ生活用品や食料品を買いに出かけるようになってきた。
また、島田の方からも初倉に山林、原野の開墾のためにでかけるようになったが、大井川を小舟で渡らねばならず、大変危険なことだった。
そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し許可され、1879(明治12)年1月13日に完成した。しかし、木橋のため大井川の増水のたびに被害を受けてきたので、1965(昭和40)年4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となった。
現在の蓬莱橋は、全長897m(平成9年12月 ギネス認定「世界一長い木造歩道橋」)、通行幅2.4mであり、大井川の自然と一体となった木橋として全国的にも有名な観光名所となっている。
※案内板文書(原文)
蓬莱橋を渡った先には、「蓬莱の島台」あり蓬莱橋の全景を望むことができる。渡ったらすぐに引き返す人が多いが、時間があれば行ってみることをお勧めする。
蓬莱の島台には、「蓬莱吉祥天女」の話などの看板や天女の像(?)などがあり、その他にも「蓬莱」の解説の看板や2つの鐘の「愛和の鐘」と「長寿の鐘」や「蓬莱」の意を象る鶴や亀などの石像もある。
また、2つの鐘の近くにある石碑には、以下のような句が刻まれていた。
「蓬莱に 不死の仙薬 無けれども 長生き橋(長い木橋)に あやかりて 長寿祈願の 鐘一つ打つ」
「人の一生 長い橋(道) 夫婦愛和が 種となり 枝も栄える 葉も繁る」
なるほど、「長生き」と「長い木」をかけてあるのね。
もちろん、愛和と長寿を願って、鐘を3回鳴らしました!3つ以上は、無意の鐘だって。
一ツ鳴らしてあなたに愛を、一ツ鳴らして仲睦まじく、一ツ鳴らしていつまでも
「蓬」:「ホウ」と読むが「よもぎ」のこと。
一年草で全国どこにでもある山野草。葉は食用(薬用)になる。
「莱」:「ライ」と読むが「あかざ」のこと。
中国原産の山野草で、葉は食用(薬用)になり、古支那では茎は老人の安全棒(杖)とした。
「蓬莱」の意味
一、仙人が住むと言う幻の蓬莱山のこと。
二、我が国では、徐福が眺めた富士山のこと。
三、中国では、台湾を蓬莱島という。
四、唐の高宗が長安に建てた宮殿大明宮の別名。
五、蓬莱山の絵画のこと。
六、蓬莱山を模してこれに松竹梅・鶴・亀・高砂を州浜台にセットした婚礼、餐応用の飾り台(島台)のこと。
「蓬莱」とは、神仙思想より不死の仙人が住むという幻の蓬莱山の略で、「蓬莱思想」とは、愛和長寿のことを指す。
※案内板文書(原文)
静岡県島田市宝来町
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