古い町並みが残る木曽福島宿を散策した

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木曽街道と宿場の橋

木曽福島宿

古い町並みが残る木曽 福島宿

翌朝、目覚めの風呂に入り朝食をがっつり食した後に、木曽 福島宿(きそ ふくしまじゅく)を散策する。
袖卯建や千本格子、なまこ壁の土蔵が残る江戸時代の古い街並が残る「上ノ段地区」をメインに巡り、最後に気になっている漆器屋を目指す。

この木曽町福島は江戸時代には、多くの旅人が歩いた中山道の中心部として「木曽路」と呼ばれ、また、福島宿には東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つが設けられていたという。
福島宿は中山道六十九次の内、江戸から数えて三十七番目の宿場となる。
※中山道六十九次は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69の宿場の総称。

幾重もの山や峠を越える険しい街道として知られていたようだが、確かに起伏の激しいこの道は現代のようにきれいに舗装されていない当時を思うと、その大変さを感じることができる。

江戸時代に造られた井戸とかもあったが、昼間でも中は真っ暗だった。夜にこの前を通るのは怖そう、、、
今でも水無神社の祭礼の時などに、使用されている。

上の段には陰陽師 安倍晴明を祀った晴明社がまつり会館の中にある。
安永5年(1776年)に大通寺に祀られ、その後、水無神社に遷されていたのを、平成16年にこの社に祀られた。大通寺も水無神社も、この上の段にあり、大通寺には武田信玄の娘(三女)で、木曽義昌に嫁いだ真理姫の供養塔がある。天文24年(1555年)に木曽に攻め入った信玄が、首領木曽義康と和睦した折に、その嫡子義昌のもとへ甲府から嫁いできた。

上の段を堪能した後は、すぎの木などを使用した木曽漆器を見てみたかったので、海老屋とよし彦へ。
行ってみると、両店とも並んで店を構えていた。ん~、移動が楽でよかったが。なにも並ばなくても、と思うが、むしろ客が集まるのだろうな。店内の商品は、すぎの木を使用しているカップとかがあり、ものすごく軽く漆がいい味を醸し出してた。でも値段がね~。。。
よし彦の向かいに、手打ちそばのくるまや本店があったので、食べたかったが、まだ開店していなかったので断念。残念。

木曽川親水公園

木曽川沿いに親水公園なるものがあり、そこに足湯場があったのだが、平日ということもありやっていなかった。
ただ、そこにさらに「行人橋」なる歩道橋が木曽川に架かっていた。単純な桁橋だが、装飾が施され一本の四角い木が横たわっているように見える。結構、歴史のある橋のようで1735年以前からこの場所に架かっていたようだ。

また、この公園から木曽川に降りると、崖家造りの古い町並みを見ることができる。
ん~、地震とかきても大丈夫なんだろうか?

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