興福寺の第2代住職の黙子如定は眼鏡橋を架設したことで有名であり、第3代の逸然は長崎漢画の祖として有名。
解夏の中で高野隆之が訪れた寺である。
幣振坂(へいふりざか)は、解夏の冒頭で高野隆之と高野聡子がお墓参りをするために登っていた階段。
実際に一番上まで登ってみたが、かなり大変だった(汗)でも上からの見晴らしはよかった。降りるときは、崇福寺を目指して違う道をいく。
一つの寺でこれだけの文化財を擁するのは京都や奈良を除けば西日本随一という崇福寺(そうふくじ)。全部で21もの文化財がある。
かつて長崎の人々は、出島に住むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で、石橋の坂を「オランダ坂」と呼んでいたよう。
解夏の中で高野隆之と朝村陽子が歩いていた坂道である。赤レンガの塀のある坂道は、高野隆之が歩いていた坂。
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